加古川の商工業の歴史

加古川駅前地区都市改造
市街地再開発事業第一地区サンライズビルの完成

サンライズビル建設用地

▲サンライズビル建設用地

新しくなった駅前広場(当時)

▲新しくなった駅前広場(当時)

 加古川市の表玄関である国鉄加古川駅周辺は国鉄山陽本線に市街地を分断されている上、道路や公園などの公共施設が未整備であり、老朽化した木造建物が密集し災害の危険度は大きなものがあるなど都市の健全な発展を妨げるとして、その対策が市の懸案事項となっていた。

 駅前の再開発事業は、45年に市が土地区画整理事業基本計画を発表、48年駅前広場に面する2.3haの区域を市街地再開発事業で整備することにした。

ところが総論賛成、各論反対で意見が分かれたため、極めて困難な局面を迎えることになった。

そこで53年、商工会議所が再開発事業について事業実施のしやすい地区から着手するという「2分割案」を提案、商店や民家の少ない第一地区1.2ha部分を公共事業として着手することになった。この区域には、再開発事業の中核施設となる東棟(サンライズ加古川)が57年3月オープン。
ビルは地下1階、地上5階建てで敷地面積は1,800平方メートル。地下の飲食店ゾーンのほか、集客性のあるショッピングゾーン、クリニックなどが入居している。

総工費24億円。

このビルの管理は第3セクター方式を導入、「加古川市都市開発株式会社」が行うこととなった。また、東棟ビルの建設と同時に駅前広場が2,400平方メートルから7,500平方メートルに拡充整備された。

 

第2地区は組合施行で再開発ビル

 第2地区1.1haの再開発については、同地区の商業者らが東棟ビル(サンライズ加古川)が完成すると車や人の流れが変わり商業活動にも支障があるとして関係者が国鉄加古川駅前再開発準備組合と同地区再開発準備組合を結成、自力で再開発に乗り出し、再開発事業に実績のある大手建設業者に「加古川駅前南棟再開発計画」の収支検討資料の調査を依頼していた。

 大手建設業者の調査では敷地約7,000平方メートルに地下2階、地上7階の建物を建て、保留床に核店舗の百貨店を入居させたとして試算したが、地価が標準価格の2倍以上ということから管理会社として貸借させても、百貨店部分を時価で販売した場合でも大きな欠損を出し、商業立地としては集客能力があってメリットはあるものの、採算面で、再開発事業は成り立たないという結論が出た。二つの組合による再開発計画は、完全に暗礁に乗り上げたが、加古川駅前地区は将来の国鉄高架化事業などからも再開発は必要として地元準備組合と商工会議所では打開策を見い出すため、行政も加わって検討を行うことになった。

 57年の暮れ、再開発ビルにキーテナントとして「そごう百貨店」が出店の意向を明らかにしたことから急速に機運が盛り上がることになった。

 58年1月には、このそごう出店について当所総合開発委員会と開発地区の地権者、借地権者との懇談会が開かれ、「今回のそごう出店というのは駅前再開発に残された最後のチャンスである」といった積極的な意見が権利者から出るなど、56年7月以来、土地価格などで暗礁に乗り上げていた再開発問題は大きく前進することとなった。
そして6月には地権者と借地権者が一体となった「加古川駅前第2地区市街地再開発準備組合」を設立、地権者100人のうち90人が同準備組合に加入した。

その後、地区内権利者との権利変換モデル作成や数々の協議を重ね、同再開発事業が都市計画決定された。決定された都市計画によると「東播都市計画第1種市街地再開発事業」として加古川町篠原町と同町溝之口にまたがる約10,000平方メートルを施行区域とし、そこに地下1階、地上7階の再開発ビルを建設。

 また、併せて駅前広場も現在の7,500平方メートルから11,000平方メートルに拡張整備する計画であった。

国鉄高架の早期実現へ

 国鉄加古川駅高架事業は、同駅周辺が市の表玄関でありながら、国鉄山陽本線などに市街地が分断されているうえ、幹線となるべき道路の幅も狭く都市の健全な発展を阻害しているとして、その対策が市の大きな課題となっていた。

 52年11月、国鉄、県、市、商工会議所などが協議を行い、高架化は“可能性薄し”として橋上駅プランを立案、推進した。しかし54年1月に駅北地区関係者より高架化推進の陳情が市に提出され、同年5月、建設省、国鉄、県関係者らが現地を調査、その結果“高架化は技術的に可能”との結論が出され高架事業は大きく前進することになった。
12月には中田市長(当時)が市議会で高架化事業推進を表明、満場一致で意見書を可決した。55年2月には「高架事業の早期実現を市民の手で」と「加古川市国鉄高架事業促進期成同盟会」が設立され、全市的レベルでの取組みがスタートした。

 59年4月には国の連続立体交差事業として認められ、54年に市が建設省へ高架化推進を陳情して以来、5年で正式にスタートすることになった。

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▲加古川市国鉄高架事業促進期成同盟会設立総会 昭和55年2月