加古川の商工業の歴史
臨海部埋立開始
▲埋め立て直前の海岸地帯
▲埋め立て開始当時の昭和42年
▲埋め立て工事現場
昭和42年1月、神戸製鋼所加古川製鉄所の埋め立て造成工事が開始された。神戸製鋼所本社が加古川市への進出決定を発表してから足かけ6年の月日が流れていた。
工事は順調に進み、43年4月に厚板工場が完成、稼動を始め、45年8月には1号高炉、48年1月には2号高炉、53年2月には3号高炉がそれぞれ完成した。
文字通り、神戸製鋼所のメイン工場として敷地面積570万平方メートル(甲子園球場の150倍の広さ)を誇り、アジア、北アメリカなど、世界各国へ輸出している。
埋め立て工事によって美しい砂浜は消失したが、加古川市は、この時期より工業都市へと飛躍的な発展を遂げることになる。
また工場は、環境面でも充分管理整備され、工場をとり囲むユーカリやアカシヤなど多くの樹木には多彩な野鳥の姿を見ることができる。
▲埋め立て開始当時
▲東播磨港と神戸製鋼所加古川製鉄所
加古川の橋の歴史
加古川に橋が架設されたのは、明治7年春に橋杭は松丸太で、板張りに低い欄干を取り付けた粗造な木橋が架設されたのに始まる。つまり、それまでは渡船を利用していたことになる。