加古川の商工業の歴史
昭和30年代のスナップ1
国民体育大会
▲ハンドボール大会選手入場式
昭和31年10月国民体育大会ハンドボール競技が旧ニッケグランドで開催された。兵庫県勢は一般女子、高校女子の部が3位に入賞するなどの健闘をみせている。
写真はハンドボール大会開会式へおめみえになられた昭和天皇と香淳皇后。
▲競技風景
昭和天皇の全国巡行はこの頃盛んに行なわれていた。▲
山陽本線の電化
▲明石から姫路間国鉄電化起工式の様子 於加古川駅 昭和30年2月10日
昭和27年6月1日会員数691人でスタートした加古川商工会議所は、創立直後より会議所活動の基盤ともいえる部会、委員会の組織作りに精力的に活動し、設立2年目には当時としては画期的な全200頁強に及ぶ、加古川地域商工名鑑を発刊している。
また翌30年8月には加古川大橋の補強及び幅員拡張並びにバス路線の拡張と増車についての要望書を提出するなどの陳情活動をおこなうなど、すでに今日の会議所活動の原形を造り上げている。
交通面でも昭和33年4月10日、山陽本線、大阪から姫路間が電化され両都市圏への距離が縮まった。
戦後の駅前風景といい、川まつりパレード風景や山陽本線電化など時代の流れは、加古川商工会議所のみならず、戦後加古川の黎明期の想いがひしひしと迫ってくる。
▲昭和33年4月10日、山陽本線大阪から姫路間が電化される。
水害対策事業
昭和30年代中頃から後半にかけては大規模な土木事業をはじめとする工事が着工及び竣工した時期である。
▲加古川が増水すると水位が橋よりも高くなるため「潜水橋」という有難くない名前を頂戴していた奇妙な橋
大雨にみまわれると加古川の市街地は必ず水びたしになった。写真は昭和36年6月、加古川駅前の風景である。大規模な下水工事の着工が急がれた。
写真は昭和35年4月、旧上荘橋竣工を記念して地元小学生による渡り初めの様子であるがその後、昭和40年9月の台風により倒壊した。現在の上荘橋は旧上荘橋の下流に新設したものである。
▲上荘橋竣工。地元小学生の渡り初め
昭和38年8月しばしば水害の原因になっていた曇川に排水ポンプ場を設置、運転を開始している。写真は揚水ポンプ附設工事現場である。
▲曇川揚水ポンプ附設工事