加古川の商工業の歴史
市制の施行
加古川市の誕生は昭和25年6月15日加古川町、神野村、野口村、平岡村、尾上村の5ヵ町村合併により市制が施行され、翌年別府町が合併した。
翌31年9月東西神吉と米田町の一部が合併。この2度にわたる合併調印式によって加古川市の人口は88,369人になった。
この年は経済企画庁が発表した経済白書に日本の戦後の経済復興にピリオドが打たれたとして“もはや戦後ではない”と言い切った年でもある。
▲写真左側が八幡、平荘、上荘の代表者、右側が加古川市
▲東西神吉、米田町の一部との合併調印式
商工会議所創立5周年
▲式典の様子
昭和32年6月加古川第2新興会館において、加古川商工会議所創立5周年記念式典がおこなわれた。壇上は大橋實次会頭。下の写真は同時におこなわれた優良従業員表彰式の様子である。
商工会議所活動
加古川、高砂地域が播磨工業地帯の指定をうけたのに対して昭和34年加古川・高砂両商工会議所合同議員懇親会が開かれ、地域開発促進の決議がおこなわれた。
▲昭和35年頃の議員総会の様子
▲写真は浜の宮憩いの家での合同議員懇親会の様子
商工会議所創立10周年
創立10周年の記念事業としておこなわれた米花稔神戸大学教授(現名誉教授)の講演。演題は「加古川の総合開発と今後の産業発展」であった。
▲昭和37年6月加古川公会堂において
加古川商工会議所創立10周年記念式典がおこなわれた
▲講演の様子