加古川の商工業の歴史
一方、世界情勢は次第に暗雲につつまれ、わが国も、この雲のなかにまき込まれていった。
昭和6年9月、満州事変が起こり、昭和12年7月からは日支事変に進展した。時の近衛内閣は、長期持久戦を覚悟し、昭和13年3月には国家総動員法を公布、準戦時体制の進展に対応して、次々に各種の統制関係勅令を発動していった。
この間、わが国の鉄鋼、石炭、セメントなどを始めとするほとんど全ての重要産業に統制団体が設置されるに至ったが、昭和15年8月、これらの業種別統制団体の総合的連絡機関として重要産業統制団体懇談会が設立され、昭和16年1月には傘下団体を拡充して重要産業団体協議会と改称した。
同年8月、重要産業団体令が公布され、これらの統制団体の統制権は一層強化された。昭和16年12月には、わが国は第2次世界大戦へ突入することになったが、戦局の進展拡大に伴い、わが国戦時経済は一層統制色を進めていった。
このような動きのなかで、会議所は、時局に対応して、統制経済の円滑化、国策と業界・地域の実情との調整などに努めたが、その運営には限界があった。
戦争の苛烈化とともに、勢い商工会議所の組織と運営を時局の要請にこたえることができるよう改組せざるをえなかった。
かくして、昭和18年3月、法律52号をもって、商工経済会法が公布され、同年6月から施行された。この商工経済会法に基づき全国144の商工会議所は一斉に解散し、各都道府県単位に設立される全国で47の商工経済会に改編されることとなった。
かし、戦局は刻々危急を告げ、空襲は頻繁に行われ、昭和20年3月には、全国協議会の事務所を置いた東京商工経済会が戦災をこうむり、加うるに中央と地方の連絡さえ困難な事態にまで追いこまれた。
のみならず、戦時統制経済の運営は、軍需省と直結した統制会およびその協力会等の系統機関を通じて行われ、これに対し商工経済会の任務は、各都道府県と一体となって産業経済の円滑な連絡調整にあたることであった。
すなわち、統制団体間の連絡の強化、軍需工場の慰問激励、戦時国民生活態勢の実践、これに対応する配給機構の改編などが商工経済会に課せられた重要課題であったが、戦時経済力が失われてはいかんともしがたい事態に追いこまれた。
戦後から商工会議所法の制定まで
第2次世界大戦後の商工会議所制度をいかに建て直すべきかについては、官民の間で種々検討されたが、結局、占領軍当局の方針にのっとり、英米系統の会員組織、任意団体制度を採用することとなった。
わが国の商工会議所制度は明治初年、商法会議所として英米系統の会議所の組織にのっとって設立されたが、産業革命以来の長年にわたる大英帝国の経済力と産業界の伝統に培われた会議所のような運営の妙をただちに発揮することはできなかった。
近代国家・近代産業を建設し、先進国に追いつこうとしていたわが国は、これに呼応する欧州大陸系統の公法人としての会議所の育成・発展を念願し、商業会議所条例、商業会議所法、商工会議所法と法体制を整備してきた。
しかし、第2次世界大戦の進展で、商工経済会法によって戦時国策協力機関と化した会議所は、終戦によってついに解散、歴史は振り出しに戻ったのである。
終戦を契機として、民主主義、自由主義の思想も復活し、政治、経済、社会、文化の各分野にわたり、史上未曽有の大変転が行われるに至った。
全国各地の商工業者も、この新情勢に対処して、民主的、自由主義的な商工業者の総合経済団体を再建し、経済民主化の線に沿って、壊滅した産業経済を復興するため、民法に基づく社団法人組織による新商工会議所の設立に立ちあがった。
商工業の前途の見通しも明らかでない大混乱期に、任意団体で会員組織の商工会議所を設立することは、極めて多くの困難と障害に遭遇したが、会議所再建の指導的立場をとった商工業者の熱意と努力は大きかった。
日本商工経済会は、商工経済会の解散を見越して、すでに昭和21年7月、解散手続をとり、その後は、新商工会議所設立準備所となり、自主的民間団体としての新商工会議所の組織・運営等の基準を示してその設立を指導した結果、全国各地に新商工会議所が続々と設立されるに至った。
この間、全国組織の必要も痛感され、昭和21年12月、社団法人日本商工会議所が発足した。
戦後、社団法人として任意団体の商工会議所は、民主主義、自由主義の風潮の高まりとともに、市の区域を主として、地方自治団体単位に続々と設立され、その数は空前の盛況を示すに至った。
しかし、これらの中には、その組織の基礎が薄弱で全く商工会議所としての実態を有しないもの、財政的基礎の健全を欠いて会議所活動の不十分なもの、あるいはその本来の目的を逸脱し、特定の者の利益を図ったりする場合が発生し、商工会議所制度発展の前途に一抹の不安を感じさせた。
そこで昭和25年5月、法律215号をもって、新たに商工会議所法が制定・施行され、商工会議所の組織と活動の準則が示され、戦後の新生商工会議所の健全な発展の指針が示された。
この商工会議所法は、極めて簡単なもので、全部で僅か8ヵ条であったが、商工会議所は民法に基づく公益法人であるけれども、その公益性に鑑み、法律に基づいて規制されるものであることを明示することにより、商工会議所の地位を高めるのに大いに寄与した。
昭和27年5月、地元商工業者の先達達の奔走によって創立された加古川商工会議所がその設立時に適用をうけた法律が、この昭和25年5月、制定・施行された、法律215号、商工会議所法であった。