加古川の商工業の歴史
全国初の商工会議所指導型とは!
会議所主導型の加古川ショッピングデパート
▲昭和57年10月オープンした加古川ショッピングデパート(現在のイオン加古川)
地元商業の振興育成へ
当時全国各地で起っている大型小売店進出にともなう地元中小小売商業者との長期的調整は、結局大型店やデベロッパー主導の下に一方的な商業開発が行われ、地域の商業振興に役立っていないのが現実であった。
大型小売店が各地域に出店し、事業活動を行おうとする場合、その店舗面積が500平方メートルを超えるときは、大規模小売店舗法第三条の届出(建物設置者)が必要であり、県を通じて通産省に提出される。そして商工会議所の中に設置されている「商業活動調整協議会」の事前商調協にかけて調整を行い、届出があってから8ヵ月以内に地元の意見を通産省に提出するシステムになっていた。
全国初のユニークな試みとして注目を集めた“加古川商工会議所指導型”とは、この大規模小売店舗法の届出をする以前に出店資料を商工会議所へ提出してもらい、商工会議所の開発対策委員会で十分協議、検討を重ねて地元の商業者が困らないよう共存共栄できる諸条件を確保しようというものであった。
会議所主導型店舗とは……。
消費者ニーズにこたえて地元商業者と大型店が共に繁栄し、魅力のある街づくりができるようにという考えから打ち出された“商工会議所指導型”が、具体的な形として実現したのが昭和57年10月にオープンした加古川ショッピングデパート(現在のサティ加古川)である。
同デパートは、52年6月日本製麻から同社工場跡地に巨大ハイパーマーケット構想が打ち出され、通産省へ大規模小売店舗法の開発申請(第3条)が提出された。しかし、地元商業者の強い反対に会い、計画を中断せざるを得なくなった。
その後、55年7月鹿島建設がデベロッパーとなり核店舗にニチイが出店する「加古川ショッピングセンター」の正式開発計画書が商工会議所に提出された。これを受けて当所では「ニチイ開発分科会」を設置、10月に会頭宛答申書を提出するまで10数回にわたる審議が重ねられた。
この間、全国各地で起っている大型店進出にともなう地元商業への打撃を考え、当所ではニチイ出店から地元商業者を擁護する立場でショッピングデパートの土地3,300平方メートル及び建物の内、1階から3階までの計6,600平方メートルを商工会議所が取得。当所会員を優先に地元商業者を出店させるという全国初の“主導型”を確立させた。
これは都市間競争、流通革命といわれる中で、少しずつ商圏がせばめられつつある当市商業の活性化、中小小売商業の出店機会の増大に役立つものとして各方面から注目を集めた。
賃貸条件、業種構成、店舗構成などについては、できる限り出店者のことを考え、商工会議所の各委員会で詳細に検討を重ねた結果、保証金・敷金は契約面積3.3平方メートル(1坪)当たり平均45万円、また固定賃料(月額)は契約面積3.3平方メートル(1坪)当たり平均6千円と地元商業者にとって有利な条件が出された。
そしてこのショッピングデパートのフロアの一部を所有、地元商業者をテナントとして入居させ管理業務を行うため、商工会議所や地元企業21社で第3セクター「加古川商工開発株式会社」を新たに設立した。
▲加古川ショッピングデパート・テナント説明会
昭和57年4月5日、当所大会議室で
▲急ピッチで進む建設工事